物作りの未来
最近、子供用の木の椅子作りを大学生に指導しました。
角のみ盤を使い、ほぞを切って鉋も使わせました。丸太から大きなバンドソーで引いただけの洗い板から、製品を組み上げクリヤー塗装まで仕上げました。
こんな古臭い技術を体験させることの意義については、色々な意見があるかと思います。しかし、極一般的な釘打ち用の金槌の、両側の違いと正しい使い方を誰一人知りませんでした。小学校によっては指導している所も有るようですが、こんな身近な物まで割愛する教育に成っているようです。
グローバル化に伴い、勝ち残れる人材育成は大切でしょうが、物作りに置いてはあまりにも後退しているように感じます。やめろと言われても、考え作り出すのが日本人だったように思います。オーディオなんて正にそう。本当に必要な人は殆どいないのかもしれません。それでも探求し続けます。ほんの数名の良いと言ってくれる人たちのために、そして自分のために。
ノーベル賞受賞者が将来の研究者を危惧していますが、物作りも同じ危機に遭遇しています。知らない若者が悪いのではないのです。知らないという事は、彼らの選択肢からそのことは始めから排除されています。多くの若者の将来への選択肢を狭めていることも今の社会の実態です。研究や物作りは、彼らにもっと開かれるべきでしょう。